さわらの観劇ダイアリー

私が勝手気ままに舞台について喋るブログです。

7500km先の彼方に揺れる

パラドックス定数『四兄弟』を観ている。
なぜ現在進行中かと言われたら3月17日から26日までの10日間、全公演観に行く予定なので。
演劇的技巧が詰まっており、120分ほぼ小道具すらなく会話だけが存在しているにも関わらず、毎回体感は1時間ぐらいなので、個人的にはめちゃくちゃ面白いし刺さっている演劇なのだが、かといって、非の打ち所がないという感覚でもないので、ネタバレも含んで言語化してみた。
paradoxconstant – パラドックス定数 公式ウェブサイト

『四兄弟』はロシア革命からソビエト連邦史における各著名最高指導者をモチーフに歴史を描き、現在へと繋がる一種のアネクドート的寓意劇だと思った。
社会派、と呼ばれる枠の劇作家だと野木萌葱氏のことを認識しているが、この界隈に垣間見える「作者の思想」が見えず、あくまでも〝ただ描く〟ということで、社会主義共産主義の理想やその不確実性を客観的に見れることが良い。

また、固有名詞が出てこないからこそ、抽象的に描かれており、あくまでもその指導者個人への追及として為していないことも個人的には好みの描かれ方をしていた。
四兄弟は彼らそれぞれの意見や主張を言い合い、赤いノート(=その国に対する主導権)が移るたびに政策転換していく。
擬人化、というと形骸的に思えてしまうのだが、人格を宿すことによってシームレスに歴史の転換が見えるというのが面白い。
最後の場面では、彼らはソ連という国そのものだけでなく、現在の世界各国としても人格を宿しているように見えた。
(長男次男四男はきっと皆同じように思うだろうけど、三男は日本だと私は思った。※追記1)
〝他国に合わせること〟と、外交として他の国と同様のポーズを行うことの意義、この舞台をソビエト連邦〜現ロシアの歴史を模したとだけ考えることは出来なかった。

兄弟というミニマムな構成に歴史・主義・概念・とマキシマムな構成を幾重にもなるレイヤーとしてキャラクターに仕上げた手腕も見事だと思うが、このじゃじゃ馬さながらの戯曲でかつ毎回の役割もこなす劇団員たちの精鋭っぷりにも感嘆せざるを得ない。
リアリスティックな部分もありつつも、コミカルな要素が多く、オーソドックス公演含む直近の公演と比較すると明るい印象を受けるが、その実、最後はしっかりと観客に問いを投げかけている作品だと思えた。

批判的なことを言うと、ある程度の近現代ジャンルの知識がないと、〝刺さる〟ポイントまで踏みこめずにnot for me、not my styleとなる人は出てくるなと感じる。
知らなくても面白いとは思うが、答え合わせをする労力を手にした人たちは面白さに繋がり、言語化できる作品だなとは感じた。
考えることを重きに置いてる作風なので、これ自体は問題ないと思うが、観客の世界史力が試されているなとは感じたし、一回観劇しただけだと、物語を掴めずに終わる人もいるだろう。実際初日はパズルの埋め合わせで終わった感覚があった。
ただ、外部作品(ズベズダ等)と違い固有名詞を全く入れずに描いているので注釈を入れられるわけもない。ここで彼らキャラクターの要素に気づいて欲しいのだろうというセリフやアクションが散りばめられているため、観客に対しての信頼なんだろうと思っておくことにする。

また、これは私が感じたことなので他の人がどう思うかという点ではあるが、劇団員以外がやって面白い芝居なのかという疑問はある。
当て書きの良さが出ている上に、パラドックス定数の芝居は会話のキャッチボールの仕方や距離感にどことなく変化球が存在していて、今回もそのテンポの変化が緩急や落とし所を生み出していると思う。
今のところ、6公演観ていても飽きないし、ずっと面白いんだけど、劇団員補正がかかっている気がするのは否定しきれない。
パラドックス定数は台本を購入できるので買って必ず読むのだけれど、ト書きも含めて、情報量が多い。これを体現する劇団員の表現?言語感覚?も併せてこの劇団なんだろうなとは毎回思っているけれど今回は特にそう思った。
(逆を言えば、劇団員のレイヤーがあるので、劇団員を知らない状態又は、当て書きだろう部分を踏まえた上でシャッフルで見てみたい気持ちもある)

 

(余談+追記予定)
今回、偶像崇拝に対しての風刺も含まれているなと感じているんだけど、観るたびに若干の背徳感とリビドーを感じている。
どうしてくれるんだ野木先生。
2023/3/25 07:16追記
追記1:最後の三男、他の人の感想でEUと見てそちらのほうがありえそうだと感じた。

2023/3/29 06:28追記
先日、長男役の小野ゆたか氏が「ミクスチャー」と発言していて、層が重なるというより混合物感がありしっくり。